Eishinofficial

『メビウス症候群』という難病と闘う1人の大学生の何気ない日常ブログ

終戦記念日~戦後75年~

今日で戦後75年となります。75年前の今日の正午頃に玉音放送によって長年続いた日本の戦争は終わりました。多くの方々が犠牲となったこの戦争…今、出来ることは何なのか考えてみましょう。

鹿児島県では鹿屋市と南九州市知覧町に特攻隊基地跡が現在も残されております。
多くの方々が零戦等の戦闘機でアメリカ海軍隻に命を犠牲にして飛び込みました。これは、自分の意志ではありません。

「神風特攻隊」は確かに志願制でしたが、当時の風習では「志願」は自分の希望通りではなく、強制でした。つまり今で言う上層部に忖度しなければなりませんでした。

これからの日本国民を守るためにと多くの航空隊員が志願しました。

自分は鹿屋と知覧の両方の平和資料館を訪れたことがありますが、出撃する前日に書いた最後の手紙には、読む度多くの涙が溢れました。

これからの日本を守るために、必ず犠牲になると分かってながらも、立ち向かいました。
前夜には「自分は死にたくない」と多くの隊員が絶叫したというエピソードもあります。
司令官は「絶対に生きて帰ってはならん。お国のために必ず死んでこい」と出発式で言い放ったそうです。
どんな気持ちでかれらは飛び立ったのか、非常に考えさせられます。

多くの隊員は出撃前に「もし、死んだら靖国神社で集合だ」と約束を交わしてたそうです。

関係者によると、今も彼らも魂はホタルとして生きているようです。毎年この日の特攻基地はホタルで溢れるようです。それは彼らだそうです。

多くの現代人はそんな彼らが行ったことを「自爆テロ」と称しているようです。

それは非常に失礼です。人間としての非常識です。特攻隊の皆様方は今を生きる我々のためにこれからの人生やチャンスがある若い歳ながら犠牲になりました。
隊員の一部が未成年だったそうです。冒頭にも触れましたが、これは自分の意志ではありません。

今、我々に出来ることは何でしょうか。今回は映画「僕は、君のためにこそ死にいく」を参考にしました。


今度機会があれば、本作に出てきた富屋食堂に行ってみたいと思います。









ー戦後75年ー