Eishinofficial

『メビウス症候群』という難病と闘う1人の大学生の何気ない日常ブログ

(ピースプロジェクト)「平和を繋げよう~大日本帝国の未路(未知)~」


今日で終戦から76年となります

現在、戦争を体験された方々が少なくなっています

いつからか、私達がこの戦争を伝える時が必ず来ると思います


そんな戦争

それは日本の大きな誤ちが起こした悲劇であり、重罪です


かつて、武家が国家を治めていた日本

明治維新を行ってから、急激な近代化を遂げました

その後から西郷さん達が征韓論を唱え、反対側によって失脚したものの、後に大隈重信の時に実行される事になります


そこから、日本は狂い始めました


近代の日本が企んだのは「アジア征服」


後に大東亜共栄圏を形成します



日清戦争の大勝利から日露戦争の引き分け

日本は次々と大日本帝国を拡大させていきます


次々と多くのアジア諸国を隷属させていく日本


東南アジアは征服した

後は、中国とロシア

そしてモンゴル


日本が目を付けたのは中国の満州

なんなら、中国全体を征伐しようと考えました

そこで作戦を起こしたのが、盧溝橋事件

相手となったのが、中国革命軍でした


日本はこれに苦戦


なぜか特殊戦略に対抗していた中国革命軍


日本は異変を感じます


どうやら、アメリカが援助しているらしいという噂が


後にそれは事実だと分かります


貿易船と見せかけて、軍需品や資金を中国に運んできてたのです


それは日本にとっては大打撃でした

その頃の日本史はあのABCD包囲陣による石油の貿易制裁により、戦闘機などの燃料の量も限られていました

無くなるのも時間の問題

備蓄量が多かったものの、それはいつか中国との対戦で無くなるのも確かでした

当時の近衛内閣では、中国との貿易制限をかけるようアメリカに交渉を持ちかけました

ですが、一人の男によりその交渉はアメリカに対する挑発へと変わります

当時は陸相であった後の総理大臣、東條英機です


近衛首相は、日米対立を避けようと交渉を持ち込んだのですが、それを東條陸相は全面拒否

「それだといくら経っても、石油が無くなる一方だ!!いっその事、アメリカと対戦して倒すべきだ!」

東條陸相は全面対立の意見を出したのです


近衛首相は、「それは危険だ!!アメリカの強さは誰もが分かってるはずだ!だから私は対立せずに、交渉で貿易を抑えてもらうことでこちらが有利になると考えたんだ!」

近衛首相は、今で言う平和的意見を主張したのです

他の大臣は近衛首相に賛同していたものの、今や権力が強かった軍部は案の定、東條陸相を支持

その軍部の圧力によって近衛首相は退陣する事になります


そして、軍部の思い通りに東條英機が首相になりました


それから東條首相は米との全面戦争に乗り切りました

また、自国を有利にさせるために当時の軍事強豪大国であり、独裁制国家を執っていたドイツとイタリアと同盟を締結

誰もが「ヒトラームッソリーニと手を組めば、我々の将来は保障される!」と考えていました

そこから、開戦のきっかけを作るために米を挑発させる作戦に出ます






真珠湾攻撃の指揮を執ったのが連合艦隊司令部総司令官「山本五十六」です



山本五十六は、並行に航空機を傾けて奇襲攻撃をする作戦を取りました

その訓練を行ったのが



桜島です

錦江湾真珠湾と見立て、桜島火口に急降下させる訓練をしたと後に記録されています


真珠湾攻撃は見事成功

と思われていました

日本国民は皆万歳三唱を行いました


悲劇はこれからでした


その後、日本はアメリカとイギリスなどの連合国に宣戦布告


陸海空の総攻撃に出ます


最初に行ったのが、マレー沖海戦、グアムの戦い


見事に勝利を収めた日本はそのままグアムを占領

その後にドイツとイタリアが対米に宣戦布告

ヨーロッパ側を侵略していたドイツとイタリアは遂に植民地を完成させたとして、アメリカに宣戦布告を行ったのです


一方で日本は次々と島々に上陸しては占領していきます


大東亜共栄圏は年々と拡大していきます

香港に上陸した際には、現地のイギリス軍を降伏させるなど順調でした

翌年後、1942年

連合国が攻撃開始

ソロモン作戦などでは日本が勝利


日本は次々と勝利していきました

1943年

山本五十六が航空戦場の視察で米軍機の総攻撃により戦死します


1943年

遂に連合国側は本気を出し始めます

マリアナ沖海戦では多くの戦艦を壊滅させられます

それでも東南アジアを侵略


ミッドウェー海戦では、大打撃を受けます


1944年

大東亜共栄圏をハワイへと拡大

そんな中、アメリカは次々と航空戦を仕掛けます

その航空戦を日本は全て大敗北


遂には大東亜共栄圏に進駐

それを知った日本側は本領上陸を防ごうと神風特別攻撃隊を創設し、決行


後半からはアメリカが日本列島に空襲を開始します

また、日中戦争では大陸打通作戦を成功させました
1945年

大東亜共栄圏の日本軍が次々と米軍によって玉砕されます


現地の降伏は天皇に背くとして行っていませんでした

その頃、ドイツはベルリンの戦い途中でヒトラーが自殺
後に降伏
グアムにも米軍が上陸

遂にはフィリピンにも上陸


台湾も玉砕

そして遂に日本本領である硫黄島に上陸
硫黄島の戦いです



そして遂に沖縄へ

沖縄戦が起こってしまいます




沖縄戦では多くの国民が犠牲になりました



アメリカはここで日本の降伏を待ちましたが、日本はまだまだ対抗します


日本の侵略は沖縄戦以降も大東亜共栄圏の復興を試みますが、失敗


防衛戦争に切り替えます


アメリカ側は奄美大島に上陸

日本側は抵抗しようとしますが、失敗


遂に日本列島上陸計画を完成

それを知った日本側は残りの戦闘機で米軍への攻撃を開始

   
一方でアメリカはナチス・ドイツアメリカに抵抗しようと原爆を開発し、実験に成功した事を聞き受けた
それによりドイツに抵抗しようと急遽に原爆を開発し、マンハッタンにて実験を行い成功

ドイツは降伏後にも日本を援助しようとその原爆をアメリカ本領に落とそうとしていたのです

その計画はアメリカの逆鱗に触れ、アメリカ側はドイツが援助しようとした日本に人体実験として落とそうと計画

その頃、連合国側はポツダム宣言を発表します

日本はそれを黙殺


防衛戦争を続行します

だが、ロシアが満州に攻めてこないよう誓った日ソ中立条約を破棄し、日本に宣戦布告
後に満州の攻撃開始し、占領
アメリカ側はマンハッタン計画で成功した原爆をポツダム宣言を受けない日本を脅かそうと広島と長崎に投下

翌日には、アメリカ側は東北に進駐しようと上陸作戦を決行

それに抵抗しようと日本は最後の海戦に乗り込む

なんとか日本海軍が東北上陸を阻止


原爆や日本上陸に向けたアメリカ側の総攻撃を受けた日本は昭和天皇を中心にポツダム宣言を受けようと御前会議を行いました


それを耳にした青年将校兵らがポツダム宣言を阻止しようと霞ヶ関に向けてクーデターを開始

多くのマスコミを占拠し、ラジオにてポツダム宣言を中止し、連合国軍への対戦を続行するよう大本営に要求

政府はそれを無視し、ポツダム宣言を受託

翌日に青年将校兵らは玉音放送が録音されている事を聞き、その録音テープを盗もうとNHKを占拠


それを聞いた政府は、別のスタジオで録音テープを放送

正午に玉音放送されました
これにより終戦します



青年将校兵クーデター軍はそれを聞いて、続行を図りましたが
大将の断念により撤退

後日に集団自決しました


翌日にマッカーサー率いるGHQが上陸


GHQは直ちに戦犯を逮捕

そして、東京裁判を行います

翌年後に全員の処分が終了

そして日本国憲法を公布

後に施行します

これにより大日本帝国が滅亡します



以上が大日本帝国の歩みです


終戦後も樺太ではそこに住んでいた多くの日本国民が集団自決しています


残留した日本軍による攻撃も続行されてたそうです


完全に終わったのは2年後の1947年だと言われています





なぜ、大東亜共栄圏が形成されたのか


植民地を拡大したのか


それは、この時貧困化していた東南アジア諸島を発展させようとしていたと後に専門家は言っています


それにより現在、台湾は経済大国になっていると言われています

他にもフィリピンなども大都市が形成されています

これも日本のおかげだと現地の方が言っているそうです

この戦争は日本が全て悪いだけじゃない


連合国側にも罪がある事を知って欲しいです


タダ、負けた側が悪役になっているだけ



連合国側は勝ったから、反省しないで良いんです

タダそれだけです