Eishinofficial

『メビウス症候群』という難病と闘う1人の大学生の何気ない日常ブログ

これまでのお詫び

お疲れ様です



皆様方には、お詫びしなければならない事があります。




実は、今日まで皆様には隠し続けた事があります




それは、「専門学校を退学した事」です。




まず、これまでの経緯を明かしたいと思います





昨年度まで、わたくしは長崎の経理関係の専門学校に寮生活をしながら通っていました



それは事実です




ですが、この1年で思いどおりにはいかず




人間関係で多くの悩みやトラブルを抱えていました



先輩方からのいじめが主な原因です。





これがあり、精神的に凄く追い込まれ





自分にはコントロール出来ない状況となっていました




昨年末には、大きなトラブルで緊急帰省もしました。





そんないじめなどのトラブルが起こり始めたのは昨年の6月の頃からでした





ちょうど1年前です




そこから半年間、なんとか周りの助けもあり




耐えてはいたものの、いつしか自分の体が限界を迎え




毎日嘔吐をしてしまう日々を贈っていました




何も体が食物を受け入れない、『拒食症』になりつつありました




それでも、私はあと1年の卒業まで耐えようとしましたが




遂に、周りがストップをかけ始めました。



そんな中、11月上旬に航行の友人から久しぶりに連絡が来たので




これまでの事を全て明かしました




すると、その友人は真っ先に「いち早く、退学したほうがいい」と言われました



自分は最初、何度も否定しましたが



友人のアドバイスを受け入れる事にしました。




そして、話は退学した後の内容になりました



その時、既に鹿児島に帰ってくる事は目前でした



友人も、「鹿児島に変えるしか無いとおもう。いつまでも、長崎の親戚に頼ってはられないと思うし」と言ってくれてました




そう考えた時に、自分は就職する事を決意していました



ですが、年齢は19歳



中途半端で受け入れてくれる企業はゼロに近かったのです




そんな時に、友人が言い出したのが




「県短二次募集の受験」でした




「Yって、そういえばずっと大学に行きたかったんだよな?」




自分は真っ先にYESと回答



すると



「叶うじゃん‼️、受けちゃいなよ!」



と言ってくれましたが



県短というのはご存知の通り



そんな軽々しくは行けない大学です



地方国立の滑り止めとして、多くの進学校の受験生が受ける大学であり



倍率と難易度もそれなりに高いのです




それは、もちろん大学生の友人にも分かっていました




しかも、受験科目は国数英プラス小論文




ほぼ可能性は皆無に近かったのです。



ですが、せっかく見つけてくれたものだ




タダで終わらせる訳にはいかない‼️




そう思い、友人に教えて貰いながらの受験勉強を開始しました。




周りには、誰にも言わず




極秘での行動でした。




そこで友達と決めていたのは、『不合格』であれば、来年もまた今の学校に残り、2年生としての生活を贈る事



『合格』したら、晴れ晴れしく退学して鹿児島に凱旋帰郷してくる事



それらの2つでした。




11月~3月末までの4ヶ月間



寝る間を惜しんで、勉強に専念しました


それにより、ほとんど授業は寝ていましたww




そして、年は明け



自分は冬休みにその高校の頃の友人と直接合流しました



そして、これまでの勉強の進み具合を報告した後




極秘期間を定めました




それは、11月~3月まで




それまでは誰にも言わない事を約束していました




そして、冬は過ぎ



3月が遂にやってきた頃



自分は、真っ先に親を電話で説得しました



最初はもちろん、猛反対されました



「鹿児島に中途半端に帰ってくる事は許さん‼️、就職するまで長崎にいろ!、むしろ就職も長崎でして欲しいぐらいだ❗️」


と何度も言われました



ですが、これまでの事を詳細に何度も話すと



流石に諦めたのか、了承を得る事が出来ました




ですが、こちらも『不合格』であれば、引き続き長崎に残る事を条件とされました。





そして、当日



3月27日




まだまだ寒さが残る中、自分は前日から鹿児島に帰郷




これが運命の1日となりました。




会場にいざ向かうと、定員30人の中



何も見た目でも80人程いました




でも焦るな、心をとにかく落ち着かせました




そしていざ回答開始




ここから、Eishinの大学受験のリベンジがスタートしたのです



あの時の悔し涙をタダで終わらす訳にはいかない。。。




1年前の自分をどうか、励ましてあげたい




そう思い、再び立ち向かう大学受験




泣いても笑っても、これが人生最後の大学受験の挑戦でした




実は親の了承を得た時



真っ先に言われたのが、「これで大学受験は最後にしろよ?」でした




「これで失敗すれば、一生大学に行かずに専門学校卒業してからは就職しろよ?」と告げられていました



これは、本来の人生構造とは正反対のものでした



つまり、編入学さえも断念する事を意味していたのです。




それならば、絶対に合格するしかない‼️




そう思い、片手にお正月に買った阿蘇神社の必勝お守りを握りしめながら解答しました




お守りには、「どうか僕を、再び夢への道に行かせてください」とお願いしました




そう、これは真の夢道に返り咲く事にもなるわけです




絶対に外さないこの闘い




果たして、自分はこの故郷鹿児島に凱旋する事は出来るのか!




正直、試験終了後は手応えなんてありませんでした





その結果待ちは、鹿児島でする事になります。





長崎に帰る時には、結果が既に分かり



今後の事が決まってからになります。





そして、結果発表当日



4月2日



時間は15時でした



ですが翌日に、学校の補習が控えていたという事もあり




結果を待たずして、長崎に戻りました




その移動時間に、スマホで見る事にしました




まぁ、正直期待はしていませんでしたからね




とその時‼️




受験票が綺麗に紛失したんですよ




これまでの受験において




受験票を紛失した場所は全て不合格でした




今回も確定づけておりました




もういいやー、俺の挑戦は終わったぁ




と思い




諦めているところに




一通の電話がきました




どうやら、知らない番号




かけてみると




「Yさんのお電話でよろしいですか?」



と言われたので即座に返事




すると、「入学資料を自宅に送っておきましたので、後でご確認ください!」と言われましま




あぁ、入学資料ねぇ





ん?




入学資料!?




自分は咄嗟に「もしかして、合格ですか?」と尋ねると




「はい、Yさんは合格です。おめでとうございます‼️」




と言われたので、その場で大喜びしました




あのYEishinがあの県短の大学生に!?




これは夢を見てるようにしか思えない❗️




思わず、ほっぺたを叩きました




どうやら現実でした




新幹線の中、1人で喜びました




そして、帰寮後




サポートしてくれた友人と親に報告




そして、そのまま学校に行き




退学手続きを済ませ




4月9日付で退学する事になりました




つまり、国家試験の補習は出るわけですねぇ。




そして4月9日




先輩方や多くの友人に惜しまれながら




寮を後にしました




前日には送別会が開かれ




多くの差し入れを頂きました





本当にありがとうございました‼️




そして、いじめをした加害者側の先輩方は直接謝罪しに来ました




これでハッピーエンドとなり




長崎を後にしました




さよなら、生まれ故郷・長崎





そして、故郷・鹿児島に凱旋しました‼️




わずか2年ぶりの鹿児島




ホンマに懐かしいものばかりでした❗️




こうして、自分は晴れて大学生として返り咲きました




というのが現在に至るまでの話です




ここでお詫びしたいことがあります




多くの皆様におかれまして、長崎にまだ居ることと嘘をついて隠しておりました事を深くお詫び申し上げます




今後は、鹿児島での生活となりますので




どうか今後ともよろしくお願いします。