やっときたね
お疲れ様です!
昨日と今日と続き、学校に遅くまで残って原稿を作成していました。
そういえば、夕食時に大河ドラマ「青天を衝け」の先週分をもう一度見て、今週分まで見たのですが
やはり、渋沢さんの奥方様はご立派ですよね。
夫に寄り添いながら全面協力していく、何事もこなすかっこいい方でした。
そんな奥方様が、来週の回でどうやら亡くなっちゃうのですねぇ。
あれは実際に、渋沢さん自身が「論語と算盤」で『 岩崎氏とは意見はよく合わず、揉めていた。』と著しています。
それだけ、岩崎さんとはバチバチに対立していたそうです。
あの渋沢さんの主張である「全ての民と分け合って、利益を得るべきだ!」と岩崎氏の「己の儲けで成り立つ!民は貧乏人として頑張ってればよい。」という意見は実際に論じられたとされています。
これを見ても、分かる通り
渋沢さんは日本経済の父でありながらも、日本初の社会起業家でもありました。
実際に、ビジネスの起点として渋沢さんは「私は多くの民を救うために、多くのカンパニーを作り上げたのだ!」と言っています。
日本赤十字社を中心とした、医療事業の新設にも携わっています。
渋沢先生のビジネスによって、多くの人が現在に至るまで救われています。
岩崎弥太郎さんは、そもそもは貧しい下級武士の家庭で生まれ育ち、幼い頃から鳥籠などを売り回っていました。
坂本龍馬とは幼馴染であり、よくライバル同士だったと言われています。
そんな岩崎氏に転機が訪れたのが、あの坂本龍馬率いる「海衛隊」の入隊でした。
そこから郵船などのノウハウを学び、多くの人脈を築き、船商人として商売を始めます。
そこから多くの儲けをこなし、財閥へと発展。
明治政府とも手を組み、政商として西南戦争時には多くの軍需品を提供。
その戦費は全て、三菱財閥に賄われました。
それにより、更なる大儲けとしたとされています。
その後も日清戦争から太平洋戦争まで
軍需品や軍艦などを提供し、多くの利益を得ています。
そんな岩崎弥太郎がなぜあんなに偉そうにしてるのかが未だに分かりませんw
「民は貧乏人として頑張っとけばいい!」
少なくとも、あなたが言われたくは無いと思いますw
元を辿ると貧乏人なわけですし、それにここまで大金持ちになれたのは坂本龍馬さんもおかげですし。
それを自分だけやったかのように偉そうにするのはどうかと思います。
という、近代の批判までしてしまいました。
批判と言えば
これ、「 やっと来たか!」と思いました。
それにしても、相変わらず何も分かっていませんね。
4000円引き上げという中途半端なやり方。
引き上げるなら少なくて、5万ぐらい。
多くて15万ぐらい。
それぐらい引き上げないと、このコロナ禍で最も最前線で働いてくださっている方々です。
多くの犠牲を払って、我々のために毎日命懸けで頑張ってくださってるのです。
それをこんな安くの引き上げで済ませるのは、どうかしてると思います。
何なら、18歳以下の給付金を全て医療従事者の収入にまわして欲しいぐらいです。
医療従事者限定の給付金も設けるべきだと思います。
公明党は、その事も公約で記して欲しかったです。
どうしても、18歳以下にこだわってしまった事に残念です。
今日も一日お疲れ様でした!