Eishinofficial

『メビウス症候群』という難病と闘う1人の大学生の何気ない日常ブログ

永久の平和を願って

お疲れ様です



これから日本はこの不景気を脱却していこうとしている時に、こんなニュースを受けるとは



午前までの日本は誰も思っていなかった事でしょう




正直、自分もこの訃報は非常に信じ難いです




また明日もどこかで参議院議員選挙に向けて正義を訴え続けているのではないかという感覚でいます。



私事ではありますが、大きくショックを受けています



日本国民の皆様、誰もがそうだと思います。


これは戦後史上で一度もあってはならなかった事件であり、ましては選挙中による銃撃は民主主義を脅かす冒涜する行為であり



政治犯罪として、より重い罪を罰するべきです。






日本の宝であった方が、こんな悲惨な亡くなり方としてしまうというのは非常にあってはならないですし



悔しいです。




あの方は今、この時だからこそ1番日本に必要な存在でした




ウクライナ情勢に対しても、あの方が再び政権を握れば止められたかもしれない



安倍さん自身も、体調は落ち着き次第



また総裁選に出馬するつもりだったのではないかと思います。




日本は、今こそ安倍さんの力が必要でした



自分も安倍さんには再び第3次安倍政権を成立させて、憲法改正を行って欲しかったです



本当に早過ぎます




もっとこの日本を変えて欲しかったです




国民に対しても、深く親しんでおられました



バラエティにも



多く出演されており、トークも凄く面白かったですし




こんな国民に親しみやすい総理大臣は、自分の中では初めて見ました。




色々と批判されており、自分も批判した事もありましたが




日本憲政史上最年長でありながらも




戦後史上最も功績を残した政権だったと思います



だからこそ、自分もそうですが



国民の皆様は安倍さんの政権復帰を望んでいたのです




しつこいようですが、今だからこそ



あの方は1番必要でした



もう、二度と



こんな完璧で常に日本を思いながら生き続けた政治家は現れないのではないかと思います




だからこそ、必要な存在でした




安倍さんといえば、戦後史上で最も多くの首脳会談を行っており



外交においても多大なる功績を残された方であります。




​安倍さんの政治人生


​下積み時代 


安倍さんは、山口県下関市に生まれ育ったという事で、「現代の藩閥政治」と呼ばれていました


祖父はあの安保闘争で知られる「岸信介氏」


叔父は、非核三原則ノーベル平和賞を獲得した「佐藤栄作氏」と



先祖代々の政治家一門でした。



また、あの麻生氏や旧岩崎家の親戚でもあります


そんな安倍さんの初当選は、1993年7月

衆議院議員総選挙の時




38歳という当時では最年少となる若さで政界入り



その前は、神戸製鋼所に働いていました。



政界入りの全ては亡き父の跡継ぎでした



父である安倍晋太郎さんは、大物政治家てあり



多くの大臣を歴任していました。



そんな父は、安倍さんが政界入りする事を常に反対していたそうです



父の秘書官を務めていた頃も、「お前は自分なりの違う道を歩め」と言われていたそうです



安倍さん自身も、当時は立候補をしたい気持ちを抑え


他の道へ進もうとしていたと後に語っています。




父である晋太郎さんが目指していたのは



自民党総裁



世間からも常に、「次期総理」として注目されており



国民からの支持も非常に高かったそうです。



その念願通りに、総裁選も数回に渡り出馬しておりましたが



全て落選。




そんな次こそはと総裁選へ向けて



早々と政策の訴えに着手している中



突然の病が襲い掛かります



誰もが復帰を望んだ中




1991年5月



家族が見守る中、息を引き取りました



67歳でした



これから政権を握ろうと励んでいた矢先でした。




「父の代わりに私が総理になるんだ!」



と遂にいきなりの自民党公認衆議院議員総選挙に立候補




初当選を果たします



ここから、「安倍晋三」としての政治家人生のスタートを遂げます



同期として、あの岸田文雄さんも当選していました



彼も同じく、父の跡継ぎとしての当選でした。



当選後は、父である晋三さんが「安倍派」として率いていた「清和政策研究会」に所属



当時からも最大派閥であり、自民党内でも最も影響力を持った派閥でした。



そんな新人時の自民党は、野党であり




当時は、「非自民ブーム」到来当初であの「民主系の怪物」で自民党から恐れられた羽田孜さんが政権を握っていました。



野党として、 自民党


当時の与党であった「社会党」との連立政権で復権を目指しており



安倍さんはその超党派グループ「リベラル政権を創る会」に参加



当時、1年目の若手ながらも



この超党派グループでの多大なる活動によって、後の時の人となる「小泉純一郎」氏に気に入られ



1998年の総裁選にて



推薦人の1人として、抜擢されます。




2000年には、第2次森内閣内閣官房副長官として初入閣



これも小泉純一郎氏のコネで抜擢されました。




また、そんな2年後には小泉純一郎氏が政権を握った小泉内閣でも内閣官房副長官に再任しました。



そんな翌年には



山崎拓幹事長がセクハラ疑惑の報道がされ、辞職



その後任として、当時の総裁である小泉純一郎さんの推薦として


安倍さんが就任。



翌年には、党改革本部長にも就任



次々と党内の出世を重ねていきました。




そして、遂に翌年となる2004年に



第2次小泉改造内閣にて、内閣官房長官に昇進



内閣の顔として、日々励んでいました。



当時として大きく話題となり



現在わだいとなっているあ「骨太の方針」の基盤となった



「聖域なき構造改革」にも携わり



実行へと取り組みました。





日朝首脳会談にも官房副長官として参加




当時は都市伝説扱いとなっていた拉致問題に初めて着手したのが、小泉内閣でした。




安倍さんは直ちに拉致被害者を解放するよう強く求めました



それが効いたのか、北朝鮮側は数人を一時帰国させる事を通知しました




ですが、それを安倍さんは猛反対




それに次いで小泉さんも反論




安倍さんが北朝鮮側に直接抗議をしたところ



北朝鮮側は完全な帰国を承諾




それでも全員の帰国は叶いませんでした。



 遂に総理大臣へ 



そして、2006年



小泉さんが総理を任期満了により退陣



小泉さんは後任として、安倍さんを推薦しました。



その結果通りに、総裁選へ大差の勝利を果たし



遂に新人から夢見た念願の総理大臣へと就任を果たしました



当時では、戦後最年少の総理大臣であり



戦後生まれ初の総理大臣となります。







これでやっと、父晋太郎さんの遺志が一部叶った事になります。




安倍さんが総理大臣として最初に掲げたのが、「聖域なき構造改革の継続」



小泉さんが現役でやり残した事を安倍さんが引き継ぐ意向を示しました




そんな中、早速



小泉さんが現職で果たせなかった中国、韓国の訪問を発表




思い切る会見となりました。



他にも多くの政策を掲げて



進行していきますが




裏では国会議員の多くの不祥事が相次ぎ



内閣のバランスが段々と崩れつつありました。



そして、参議院議員選挙に突入




「野党に政権は出来ない!、任せる事は出来ない!!」



と批判したものの




小沢一郎率いる民主党過半数を奪われ




敗退してしまいます。




予期せぬ、捻り国会に安倍政権は焦りを見せ





遂には、1年余りで体調悪化を理由に退陣




福田康夫さんにバトンタッチしました。




自民党、予期せぬ弱体化 



この頃、90年代以来の自民党弱体化が乱れており



政権交代がいつ起こってもおかしくない状態となっていました。




ある時に民主党と党首会談を行おうとしていましたが



小沢一郎氏は、それを打診



自民党はこれに何も応じる事が出来ず




そのまま取り消しとなります。




それもあり、自民党の衰退が明白となります




福田さんは、なんとか乗り越えようとしますが



わずか1年余りで総辞職となります。




これを引き継いだのが、今でも大御所政治家で知られる麻生さんでした



この時から再び、支持率が増加



「大の漫画好き」で知られた麻生さんは



若者にも大人気を博し



「漫画総理」として親しまれていました



再び、自民党が与党として躍進したように見えましたが




自民党内の汚職が乱れ





麻生内閣は、遂に下落




野党からは、解散を迫られ




言われるがままに衆議院解散を行いました




これにより、解散総選挙となりますが



麻生率いる自民党は、遂に衆議院議員総選で大敗



政権交代となりました。




​入退院を繰り返す日々 

一方で、安倍さんは総理大臣を辞職後



直ちに入院




持病の治療に専念していました。




いつしかの政界復帰を志して




励んでいました。




処方された薬も効かないぐらいの悪化状況となり



緊急手術へとなります。




その後も入退院を繰り返していました




​遂に政権奪還へ 



その頃、あの自民党から政権を奪い



国民に寄り添う政治を目指していた民主党




誰もが、前よりもまともな政治となるだろうと期待していましたが



それを裏切るかのようにミス連発




鳩山由紀夫首相に関しては、無能だと叩かれまくり



それを本人も国会で認める事態に。




本人の精神的にももたず



1年余りで退陣しました。




その次も失態を犯し




偉そうにしてるだけとなりました。




そんな内閣が独裁的に汚されている中




安倍さんは、2012年




遂に自民党総裁選にて復帰





見事に当選となりました。




安倍総裁が目指したのは、もちろん




政権奪還でした





当時の総理は、タダタダ政策を何も理解出来ていない無能



野田さん。





挙句の果てには、なんと



近年の歴代首相が1歩も踏み出さなかったという首相公邸に住んでいたのです




それを安倍さんは面打ち



「首相公邸に住み始めたら、こんなにもおかしくなっちゃうんですねww」




とネタにしながら反論した事がありました




民主党嫌いの安倍さんは、次々と冗談交じりの反論を野田総理にぶつけていったのです




これに毎回キレていた野田さん





「あのね、自民党のあなたにそんな事を言われたくはないんですよ!」



というのが定番でした。





今や、民主党政権



参議院議員選挙も大敗し




衰退しつつありました





そこで安倍さんは、王手をさす手段を取ります




それがこちら

↓↓↓








まるで強制的に解散させるような勢い