Eishinofficial

『メビウス症候群』という難病と闘う1人の大学生の何気ない日常ブログ

師匠のために駆けた人生~笑点のエース~

今日、夕方頃



帰宅してから、テレビを付けて



いつも通りに「newsevery」を見ていたところ




藤井キャスターが、いきなり笑顔から表情を変え



そして、戸惑った様子で


「えー、非常に信じられないニュースが入ってきました。速報でお伝えします。」



と言った直後に出されたテロップが



日本列島を衝撃に覆わせました




『訃報・三遊亭円楽さん死去』




この時、自分はあの時の円楽師匠が頭に横切りました







『じじぃ、早すぎんだよ!!』



これは、歌丸師匠が亡くなられた時の



笑点追悼企画の時に放った言葉でした





何度も、歌丸師匠をいじってきた円楽さん




あの2人の掛け合いは、とても懐かしく思います




そんなおよそ4年後





円楽師匠は、72歳というまもない年齢でこの世を旅立たれました





私は、3世代揃って



三遊亭円楽さんの大ファンでした




祖父母宅は、毎回円楽さんが鹿児島で座談会などのイベントで来られた際には



「楽太郎が来るから鹿児島行くわ!」




わざわざ鹿児島市まで足を運んで見に行っていました




自分も、よく幼少期は共に見に行ったものです



ちょうど1年前



祖母と見に行ったのは記憶に新しいです




あの時の円楽さんも変わらず面白かったです





幼い頃から笑点を見ていては



毎回笑わせていたのは、円楽さんでした




円楽師匠がいてこその「笑点





ムードメーカーでした





2人の師匠からの恩





そこから襲名した「6代目三遊亭円楽




本当に、心優しさが伝わってきます





円楽さんといえば、毒舌ネタでも多くの人気を得ていました




何かといじって、笑いを起こす




それこそが、円楽さんの幸せ起こしでした




「俺は、いつ司会が来るのか?」



と司会を狙ったいじりも



鉄板でした





かつては多くのCMやバラエティにも出演されており



そしてドラマにも




活動のジャンルを拡げられておりましな




落語愛がとても強く




大喜利の鬼才」



それに限ると思います




また、そんな円楽さんは最近



再び新たな目標を掲げておられました




それは、「7代目三遊亭圓生の襲名」




三遊亭圓生」はあの三遊一派を2代で築き上げた始祖であり、江戸中期から1979年の6代まで続いており



そんな円楽さんは、43年ぶりの復活をさせたかったとされています



やはり、これも自身が所属する「三遊派」への恩返しだったのでしょう




円楽さん自身は、「三遊派の宝となるのが、やはり三遊亭圓生である。だからこそ、その名を再び公に名を出したい」



と言われておりました




また、生前




法名にも、「三遊亭圓生の名前を刻んで欲しい」と



墓を建てたお寺の住職に、お願いしてたそうです




円楽さんは、最後まで三遊亭圓生を大事に想っていた証なのでしょう




でも、志半ばで旅立ってしまった事は



本人としてはとても悔しく想われてるかもしれません




三遊亭圓生の襲名は、おそらくファンの皆様方も心待ちにされてたのではないかと、思います




それが、叶わなかった事は



非常に残念でたまりません




それでも、法名として残されるというのは



最期に、襲名したと言ってもいいかもしれません






日本落語界にて、偉業を築き上げた多大な功績者であられた「7代目三遊亭円楽」さん




いいえ




「7代目三遊亭圓生」さん




ご冥福をお祈りします